読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

暑さ寒さも彼岸まで

クールビズの季節が来た。

「来た」と言っても、5月上旬のこと、冬の寒さは最早ないとはいえ、深夜明け方はまだ肌寒い。

陽が出ていればそれこそ夏日にもなるが、春夏が交代しつつある時期なれば、まだ換装には

大夫早い。

昨日はネクタイ、今日はクールビズ、例えばそういうとっかえひっかえをする必要があるのかも

しれない。

ところでクールビズの目的は快適さでなく室内気温を高めに設定してエネルギー消費を抑える

ことにある。現在その設定温度は28度を目安としている。

要は28度以下にせず、後は自前でナントカせよ、というのが趣旨だ。

問題はこの「温度」設定にある。

28度という温度設定には根拠がある、と環境相は述べていたが、見る限り根拠でなく

単なる由来に過ぎない。

そもそもが「暑さ」を語る指標に「温度」を持ち出すことそれ自体に問題がある。

何より「暑さ」は感覚であり主観である。28度以下になったから涼しい、28度に達した途端

暑くなる、というような類ではない。

思うに暑さを構成する要素は熱の発生源である人間それ自体と熱の移送媒体である空気

の動き、そして外部の熱源である。

「暑い」のは、暑さを感じる主体たる人間の発する熱が外に流れ出す、その流れが妨げられることに原因がある。逆にこの熱の流れが大きいほど「涼しい」。

熱の流れ、を言い換えれば熱量の時間微分と言える。

そして、およそ微分には正と負がある。外に流れ出す方向を負とするならば、外から入り込む

方向は正となる。

総合的に人間の熱量の時間微分が負となれば涼しい、ということになる。

ところで、人間からの熱の移送は、人間が直に接している空気とその空間が媒介している。

空気は熱源(すなわち人間)で暖められると上に移動する。移動することで熱を移送する。

だからこの空気の流れを止めると熱の移送が滞る。

もうひとつ重要な要素は、人間を取り巻く空気の湿度にある。

暑いと汗をかくが、この汗は蒸発して初めて熱を放出できる。

しかし湿度が高いとこの蒸散が進まず、その分熱量が外に出ていかない。つまり「暑い」。

最後に外部の熱源の存在。

およそあらゆるものは「熱」を(正負いずれでも)放出している。

外部の熱源が負の放出(つまり熱を吸収する)をしている限り、涼しい。

逆に正の放出(つまり熱を発生する)をしている限り暑い。

ここで肝心なのは、正負いずれにせよ、空気によらず空間を通して移送されることだ。

外部熱源からの熱は、媒体の空気を温めはするが、直接にも人間に到達する。

最終的に空気の温度は上がるが、温度が上がったから暑いのではない。

熱の収支のバランスが取れていれば、温度に依らず快適な状態を維持できる、

と書くと「摂氏100度の温度でもいいんかい?」と極端なことを言われる可能性が

あるが、熱源たる人間の放出する熱量に限りがある以上、また人間が恒温動物である

以上、暑いもなく寒いもない温度範囲には自ずと制限が出てくる。

制限は出てくるが、ある範囲の温度であれば暑いも寒いもなくすことができる。

温度にそのすべてを背負わせるのは大夫無理がある。

それは科学というより、数字を使った信仰に過ぎない。

「暑さ寒さも彼岸まで」

結局「暑い」も「寒い」も信心の問題だ、とでも言いたいのだろうか?

◇◇◇

彼岸、つまりお彼岸の時期、という捉え方のほかに、もう一つの捉え方ができそうだ。

彼岸、つまり文字通り「あの世」、死後の世界だ。

暑いも寒いも生きていればこそ。

それも楽しめ、死なないうちに、ということか。